コンテナ市況レポート 2012年4月

  • by 中尾 治美

3月末仕事で急遽上海に飛んだ。昨年6月以来の上海である。横浜に住んでいるために羽田から朝発つ便は都合がいい。但し羽田上海往復の安いチケット購入となると早めに手当てしないと難しい。それで今回のチケットは変則で、羽田発、成田帰国となった。上海虹橋(ホンチャオ)空港にお昼過ぎに到着。高速道路を利用し、ダウンタウンの事務所に向ったが、午後2時というのに高速道路は大渋滞である。我先に少しでも早く先に行こうとして割り込んでくる。割り込みも“あうんの呼吸”があるようで、車の先、数十センチ入ってくると割り込み成功。日本のように割り込み厳禁、クラクションを鳴らし入れさせないということはない。上手いドライバーはアメンボのようにスイスイと車線変更し先へ先へと進んで行く。例えば4車線の規制があっても、実際5車線、6車線車と車列を作る。特に高速道路の入口の混雑は見ていてハラハラの連続である。スペースができると突っ込んでくる。車線の変更を狙っているドライバーは平気で2つの車線の真ん中を走り、左右に車線変更するため、さらに渋滞がひどくなる原因になっている。しかし、ドライバーは忍耐強く動き出すのを待っている。本当にその忍耐は模範的で日本人のようにマナーが悪いといってカッカとはしない。実に冷静である。あれだけの喧騒とした中で事故を見ないのも驚きである。

結局通常30分で行けるところを1時間半近く掛かってしまった。混雑は年々ひどくなっているようである。マナーの悪さは一般道の方がひどい。反対車線を堂々と走り、歩道に凹んだバス停留所を追い越し車線のように走り抜けて行く車を多く見かける。クラクションは歩行者を追い立てるように鳴らされ、パトカー、救急車のサイレンは一日中何処かで聞こえている。上海の市街地はそのうち自動車で身動きがとれなくなるのではと危惧をする。歩行者のマナーも見ていてハラハラの連続である。赤信号でもそれが何のためにあるのかと疑いたくなるように車をかき分け渡る人がいる。運転手も信号が頼れないので気が抜けないであろう。1990年代始め頃まで自転車の集団と数少ない自動車が大きな道を塞ぎ、道路を渡るときは目を閉じて、歩く速度を変えずに渡るように言われ、恐々渡った経験がある。不思議と自転車、車もギリギリのところで停まってくれた。今は勧められない。小生の印象としては、中国はモーターバイク時代を一気に通り越して自動車時代に飛び込んだかのようである。5年も上海に住んでいる友人が言った“上海は少しではあるが確実に変わってきている。”私も上海、いや中国は良い意味で変貌していると実感する。人の意識も我々が問題にするマナー向上も時間の問題である。

2011年の中国国内での自動車販売台数は1,850万台。3年連続の世界一の販売量を誇る。日本は475万台、米国は1,277万台である。中国はまだまだモータリゼーションの真っ只中である。2012年には2000万台を記録すると言われている。中国は各国の自動車メーカーが進出し、さながら市街地は自動車の国際見本市会場である。中国の懐の深さ、あらゆる可能性を秘めている中国の発展を一緒に支えていけば、日本のゆく道も開けて行くように日々思う。

中国のコンテナメーカーが活況を帯びている。6月まで生産は埋まっている。20Fの新造価格も$2,500台に上昇している。しかしコンテナメーカーは増産には慎重である。リース会社の注文が中心で、船会社はコンテナの自社調達の余裕がない。長期リースでこれからの夏場の需要を乗り越えようとしている。そのため長期リース料金もこの一カ月で25%以上も値上がりしている。原油、原料価格、人件費等の上昇とメーカーによる生産調整によりコンテナ価格は再び上昇基調にある。船会社もアライアンスの再編成、スペースの削減で運賃値上げに成功、荷動きの回復を反映し、コンテナ船の3月の消席率は欧州、北米西岸、東岸航路とも95%を超えている。引き続き5月も運賃値上げが続く。その結果、邦船は後半の回復を受けて今期は黒字化を目指している。

今回の上海出張には後日談がある。3月31日(土)上海浦東国際空港午後5時発成田着8時55分着で戻る予定であったが、日本で今年初めての春の嵐で成田からの飛行機が送れ、浦東の出発が7時20分に変更になった。4時間以上待つことになってしまった。実際に飛び立ったのは8時近くであった。成田が夜の11時以降の発着を禁止しているため羽田着陸も検討されたようであるが、滑り込みセーフで11時4分に成田到着。機内で成田から都心への鉄道、バスサービスは終了しているため、迷惑金として1万円出すので自己責任で何とかして欲しい旨の機内放送あり。入国審査を終え、30分並んで迷惑金を受け取ると、米国のユナイテッド航空も遅れたようで、50~60人の乗客(ほとんどが外国人)が空港施設から支給された寝袋を使用して1階ロビーの椅子席で横になっている。成田で泊まるのも悪くないと思い、成田空港近くで泊まれるホテルがないか航空会社の職員に確認するも、すべて満室とのこと。高額な差額を出してタクシーで横浜まで帰ろうとタクシー乗り場に行くが、100m近くはある長蛇の列。成田空港に乗り入れているタクシー台数が少ないのが分かり待つのを諦めた。友人に車で迎えに来てもらっているものの、空港内に入るゲートが分からないため立ち往生しているそうで、どうしたらここまで来られるのか詰め寄る日本人もいた。

外国人の中にはSkypeを使用して成田の現状をTVレポーターになりきり本国に実況中継している人もいた。電話で逐一如何に新東京空港(成田)、いや日本が後進国であるか苦情を恋人にぶちまけている人もいた。小生も初めての経験で戸惑ったが、成田発始発電車に乗る決意をし、コートの襟を立てて椅子に腰かけていると、右往左往している乗客の人影が絶えたロビーに、先ほどホテルは満室で手当てできないと答えた女性地上職員が何人かの人たちに小声で、”東京経由横浜行きのバスの用意できました。”と言ってバスに案内しているではないか?とっさにこの機会を見逃してはいけないと思い、駆け足でその人を追いかけた。”このバスは横浜に行くのですね!”と声をかけると先ほどの職員は目を丸くして、その眼は、あなたは対象外です、と語っていたが、小生の気勢に圧倒されてうなずいていた。満席ではないものの席はほとんど埋まっていた。特別メンバーのために仕立てられたバスに違いないが、非常事態のため黙認することはできない。結局このバスに揺られ、何とか朝方の3時に横浜の自宅にたどり着くことができた。今の日本のアンバランスな国際化の状態を見せつけられたし、基本的に日本は内向きのためグローバリゼーションという言葉がむなしく響く。また、危機管理についてもしっかり学習させられた旅であった。

関連記事

TOP